糸を掛ける

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白昼悪夢

あらすじ:「深くショックを受けるほど、頑張らなくてよかった」という考えから抜け出したい。

さっきの記事↓からの続きです
jim-b.hatenablog.com


***

大人になってから、もう生きていたくない、と号泣する日が増えました。

私は反出生主義です。
そして、自己肯定感が低い。
というよりも、「自分のミスの多さと無能さを自覚しているから、自分の行動に自信をもつことの責任を恐れている」というのが正しいと思います。

これからも人生に期待することはないと思います。


でも、「深くショック受けるほど、努力しなくてよかったね」は違う。
「ショックを受けるほど、一途に人を愛さなくてよかった」という考えに至ってしまった先輩みたいにはなりたくない。
(もちろん先輩には救われて欲しいし、救ってくれるような誰かと出会って欲しいと思ってる。)



何が足りないんだろう。
自分には。





一つわかるのは、私はもう、目標に向かって努力することが怖くなってるんだね。

中学生の時、先生に「何事に対しても努力ができますね」って褒められたこと思い出しました。

先生、それは私がまだ世間と自分の実力を知らなかったからこそできたことでした。
何も知らない方が幸せってつらいですね。最近最終話まで読んだ進撃の巨人を思い出しました。




そもそもどんなに努力を重ねても、未来がどうなってるかはわからない。

それは、私だけでなく、誰にでも言えることだと思う。
コロナ禍の例を持ち出すまでもなく、コロナ流行以前の世界でもそうだったはずだよ。
「私が知っている世界はどこに行ってしまったんだろう」(「地獄が呼んでいる」に登場するセリフ)と思う瞬間が、誰しもあったはず。

未来の世界が大きく変わっていなくても、努力して掴んだ新しい環境が自分に合うところかはわからない。
「こんなはずじゃなかった」と打ちひしがれた表情で退職する新卒生を何人も見かけている。

でも「深くショックを受けるほど、努力しない」という考えは、結局自分を苦しめるんだと思う。

いいな、要領よく努力できる人は、とぼやきたくなるけど、自分はこの個体で人生を生きていくしかないんだから、もう仕方ない。
幸せの反対は比較である、って最近YouTubeで見かけた。

www.youtube.com


なんか、書けば書くほど自分が新卒生(大学生、大学院生)と比べて、勢いを失ってることがわかるな。

あー、いかんいかん、またじめじめ言うとるわ。


***


・自分は「正解はないけど評価はある」ものが苦手。
・自分は「結果までの過程が明確に決まっていない」ものが苦手。
・自分は「要領よく息抜きすること」が苦手。
・自分は「0か100かで考えがち」


このあたりの性格が、自分の「努力下手」に影響を与えてる気がする。

だから、「正しい努力の重ね方をしたい」と思っても、「正しい努力ってなに?」ってところで行き詰まってしまう。


うーん。


(次の記事に続きます)