泥のように眠る
さっきの記事で闇を吐き出して、「その後」の私として生き返りたい。
jim-b.hatenablog.com
⚠︎今の気持ちを書き散らかしている記事です。めちゃくちゃ読みづらいです。ごめんね。
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先ほど不採用通知が送られてきました。
今年の新卒就職、今のところの私は、
0内定 2敗 1不戦敗(選考当日に熱出して参加できず)となっております。
(ただ、ありがたいことにとある企業様1社から、内定をいただけそうな段階...という状態です。)
そんな時に不採用通知。
お祈りの一文を読みながら、頭の中によぎったのは、
「でもまあ、ショック受けるほど頑張ってないじゃん」
「深くショック受けるほど、頑張らなくてよかったね」
という言葉でした。
......は?
今なんて言った私
そういうことじゃないだろ、
自分を守るって、そういうことじゃないだろ
自分は違う、と抜け出したくて、久しぶりにブログを書きました。
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私はずっと、「努力の仕方」に悩んでいるなあと思います。
「悩みグセ」がついたのは高校生以来な気がしますが、経緯や様子を書き始めると長くなるので省略します。
大学院生の私が(大学院試勉強期間を含め)悩んだ末に学んだことは
「自分を幸せにできるのは自分しかいない。自分の幸せは自分で“確保”しなくちゃいけない。」
そして、
「今の自分を大切にしながら努力することが大切」ということ。
「今の自分を大切にしながら」という部分に注目できたのは、院試勉強中の自分が、自分を削りながら努力をしていたからです。
長い人生、時にはそのくらい自分を追い詰める必要がある時があるとは思うけど、大学4年生当時の自分が、心身をボロボロにしながら戦って得た結果が、「うつに片足突っ込んでる(大学院生1年生の8月に心療内科の先生に言われた言葉)」状態だった、という経験は私にとってそれはそれは大きかったわけです。
一言で言うと、私は要領が悪い。
だから、他の人が遊びも学びも良いバランスで要領よく進められている部分を見て、「ああ自分なんて何の役にも立たない」「無駄に存在してるでかいタンパク質だな」と思うときがある。
ちょっと話がずれましたが、もう私は、今の自分をボロボロにしてしまうほど犠牲にして頑張る、努力の仕方を実践することは放棄するようになりました。
「今を犠牲にしている分、私の方がきっと将来明るいはず...じゃなきゃやってられないっ!」
togetter.com
(これは成人向け同人誌の一コマらしい)
もうこんな頑張り方はできません。というか、しません。無理だと思う。
そこからです。
「自分を大事にする」方向がまたわからなくなってきてます。
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大学生のとき、明るくておもしろい先輩がいました。
ただその先輩は、恋愛の道徳観が歪んでいました。
先輩曰く、
「男の浮気は本能だから仕方がない」
「自分の浮気を彼女に許してもらいたいから、自分も彼女の浮気を許す」
「浮気はするけど、彼女を泣かせたくないからバレないようにする」
何を言っとんじゃこいつ、と思いながら書き起こしています。
ひでえな。
ただこのひでえ先輩は、ご自身が大学1年生のとき、気の毒としか言いようがない出来事を恋愛の中で経験されていました。
そのことがきっかけで、考えが歪んだのだろうなあ、と私は考えています。
「本能」という“大きなもの”にすがっている
そうすれば自分は傷つかないし、自分は悪者にならない
「自分の心身を守るための考え方に沿って、行動を修正をした」結果、今の自分の周囲の人を傷つけることになっても、その考えを選んでしまったのかな、と今なら思います。
「ショックを受けて心身を病むほど、一人の人を深く愛さなくてよかった」という考えに。
そしてわたしの、「深くショックを受けるほど、努力しなくてよかったね」という発想は、この先輩の歪んだ考えと同じだ、と気づいたのでした。
わたしはこの考えから抜け出したい。
この考えは自分と周囲の人を傷つけてしまう、という確信だけはあるからです。
(次の記事に続きます)