就職しました(※一ヶ月前)
就職しました。
仕事が始まったものの、就職活動をしていた時期(広く言えば、大学院1年の夏〜今年の4月)のほうが、仕事についてからの時間より今のところはるかに長いためか、まだどこか、「就職した」という実感がありません。
でも、頂いたお仕事には、一生懸命頑張っているつもりです。
明日もお仕事がある幸せ。決まった時間に、決まった場所に通う日々が続く幸せ。
じんわりと涙が出そうなあたたかな幸福です。
お仕事が始まるまで、「職場の人間関係が合わなかったら...」「仕事が自分に合わなかったら...」ととにかく怯えていたのですが、はじまってみると、なんだか申し訳なくなるくらいにやさしい方々に恵まれて、自分の幸運に恐怖すら覚えているほどに、ありがたいことだと感じいる日々。
職場ガチャ、上司ガチャ、就職ってなんだろうな。
まるで私の人生じゃないみたいだ、と思いながら、日々いただけるやさしさに応えていきたいと思いつつ、毎日を過ごしているところです。
本当は、就職が決まった日に、長らくお世話になっていた、ハローワークのひととのやりとりをここに書き留めておこうと思っていたのですが、しばらくバタバタしていたことや、思い返すと泣きそうになることなどから、なんや感やで今に至りました。
採用のご連絡が来た後、ハローワークに電話をかけました。
その時間帯の電話番担当をしていたかたは、偶然、私が十二月に面接練習をしていただいた職員の方でした。
採用いただきました、と伝えた時「わあ!おめでとうございます...!!!ごめんなさい、いま動揺しちゃって」と電話口で喜んでくれた方でした。
その日の夕方に、半年近くお世話になった職員の方(もちろん12月の面接練習のときにも付き合っていただいた、というか、面接練習のセッティングもしてくださっていたかた)のところにご挨拶にいきました。
ハローワークって、最初に「本人確認のために、お名前と生年月日を教えてください」と聞かれるんですが、
その日は「これで最後だと思いますが」「本人確認のために、お名前と生年月日を教えてください」と言われて、思わず泣きそうになりました。
半年間の間、この方に支援していただけてよかった。
家庭事情のことや、教職関係のことなど、どこか似たご経験のある方で、自分にとって第二の親のような存在でした。
口下手な私は、結局最後まで、うまくお話ができなかった気がして、それが悔やまれてならないのですが、
本当に、この方の支援を受けられてよかったです。
両親の方針とうまくすり合わせができなくて、窓口で泣いてしまった時のこと
「(私)さんが、バイト先の社長さんから『社会人としての常識やスキルがない』といわれたことを、就職の価値基準にしているのであれば、僕は決してそんなことないと思いますから」と強く言ってくださったこと
お仕事が落ち着いたら、またおうかがいしていいですか、といったら、「もちろんです」と笑ってくださったこと。
もっといろんな言葉で、感謝を伝えたかったのに、最後までうまく言葉をいえずごめんなさい。
最後、エレベーターの扉が閉じる前、
あなたと、同じくお世話になった別の職員さんが見送ってくださった時。
扉が閉じた後、おもわず泣いてしまった。
だめだ
当日は、涙が溢れて仕方なかったから、
仕事が始まってしばらくしてから、この日記を書こうと思ったのに
結局泣いてる
いままで支援いただいたことの一番の恩返しは、
就職し、職員の方々からの手元から離れることだと思うから
わたしはきっと一番の恩返しを示せているはずと
自分を励まし、また、檄を飛ばし、
これからの日々を、
ゆっくりと無理せず頑張っていきたいです
もうちょっと落ち着いて、綺麗な文章を書けるようになってから、
ハローワークの方のおはなしもかきたい。
あと、派遣バイトでお世話になった人の話とかも。
とはいえ、あくまでもこれは、
ふつうのひのことなので・
わたしはこれからも
日常を続けていくだけ。
何も意気込まず、
ときには怠惰な心に悩まされつつ
これからも
自分の生の持続を、あきらめながら乗り越えていきたいです、
さいころ
きょうはひさしぶりに「もう死にたい」という考えに振り回されなかった日でした。
というか、いろんなことがあったから、考える隙間が減った。
昨日ブログを書いた後、大好きなゴールデンカムイが実写映画になるっていう衝撃ニュースが入ったこと。
(あまりの驚きで寝付けなかったぜ)
サンデーうぇぶりであおざくらを読むのに夢中になったこと。
その後、YouTubeで防衛大学校や海上自衛隊幹部候補生学校のドキュメンタリーをを見ていろいろ衝撃だったこと。
なんかいろんなことに熱中できたおかげで、いらんことを考えずに済んだ日でした。
ひさしぶりにちょっと前向きかもしれん。
昨日ブログを書いたおかげでもあるかな。
今日が比較的「凪」の日だったのは、サイコロ転がしたらたまたま1が出た、くらいの偶然みたいな出来事だったと思う。
せっかくならできることやって寝たい。
結論は出なかった
あらすじ:「自分の心身を大切にしながら無理せず努力したい」という気持ちより、「深くショックを受けるほど頑張るのが怖い」という気持ちが強くなってきてる。この考え方は、自分も周囲の人も傷つけるものだと確信を持っているから、抜け出したい。正しい努力の積み重ね方って何だろう。
前回の記事↓
jim-b.hatenablog.com
⚠︎今回も書き散らしてます。誰かに読ませることを想定していない、メモ寄りの日記です。
***
なんか、あらすじ(要約)を書きながら、2005年の市立柏高の吹奏楽部のドキュメンタリーを思い出した。
サックス担当の男の子が、「自分は努力という言葉が一番嫌いなんですよ」「努力しても報われなかった時が怖い」って言ってた。
でもその子は、とある演奏会でソロバートを担当できなかったことをきっかけに、悔しさをバネにして自主練に励むようになった。
最終的に彼は、全国大会で演奏する曲のソロパートを勝ち取った。
最後には先生が「努力って悪くないだろ」って声をかけてた。
その年のイチカシは、全国大会では銀賞だった。
他を圧倒する演奏で、誰しもが金賞だと確信してたはずだったのに。
ただ先生は、地区予選では満足いく演奏ができてなかったことを踏まえ、「この銀賞の賞状は、金賞よりも大切にする」「ありがとう」って声かけてたんだよなあ。
学校の先生ってやっぱりすごいな。
私なら、こんな時なんて声かけるかな。
一生懸命努力してきたことが実らなかった、という経験をした子供たちに対して。
3年生が引退したあと、これから始まる新体制に向けて。
***
そういえば、最近、アオアシというアニメをみています。
Jリーグユースに所属するユース生の子たちの成長を描いた物語なんだけど、焦点が当てられてるのは子供たちだけじゃないんですよ。
監督やコーチが、何に注目して何を尊重しながら「育成」しているか、という部分もテーマになっている作品でして。
物語の中で繰り返し出てくる「考えること」「言語化すること」は、スポーツだけじゃなく、指導したり学習を援助したりすること全般に生かすことができる大事なことだな、と興味を持ったわけです。
「言語化する」、っていい学習方法だな。
(仮想的教示に通じるものがあるのかな)
今の自分も、言語化している。
何か思わぬ形で実りを得るかもしれない。
少なくとも、悩んでいるときに悩みを書き出してみることは、気持ちを整理することにつながるよね。
***
多分私は、「練習(努力)した通りのことを本番で発揮する」ということは得意なんだと思う。
中学までの定期試験とか。
本番緊張して失敗したこともあったけど、少なくとも、努力の過程という点では一番得意な努力の仕方だと思う。
でも、
・練習した問題が本番で出るかはわからないもの(大学受験など)
・練習した技術が本番つかえるかはわからないもの(対人競技のスポーツなど)
こういったものの努力が苦手。
それから、
・努力して得た結果に、将来の自分が適応できるかわからないもの(就職活動など)
これは、大学院の経験が響いてる。苦手、というよりも、怖い&自分のモチベーションを下げる要因。
***
深夜の長考って良くない。そろそろやめにせねば。
ただ、私は、「練習してきたものを発揮する」ということに対する努力はきっとできるはずなんだ、と気づいた。
そこに「できなかったらどうしよう」「自分に自信がない」「これであってるかな」っていう不安が際限なく溢れるようになってるから、できることもできなくなってる。
それでも、できないことをやっつけるためには、できることを積み重ねていくしかないんだよな。
人に喜んでもらうというということを人生のモチベーションにするのも悪くないけど(記事参照)、
jim-b.hatenablog.com
自分のために自分の人生を大事にする、っていうことに、関心が薄いんだな。
でも、他者への自己犠牲だけを目的に生きることもできない。
はあ、難儀なねえ〜〜。
***
できたことをノートに書いていく、とかしてみようか。
大学生の時、産業カウンセラーの先生にアドバイスしてもらったことだけど。
別に何もできなくてもいい、くらいのノリで。
あと、ありがたいことに、もうそろそろ自分が苦手なこと(就職活動)から抜け出せそうなんだから、できる努力をすることに専念しておくとか。保険で受けとくところもあるけど、それもできる範囲でやってみるとか。
推しのことは?
なんかモチベになりそう?って思ってたけど、今は無理そう。
推しに元気をもらってるけど、「お金の心配なくグッズを買えるようになりたい!早く就職したい!」みたいな強いモチベは今の所ない。
バイト代でも満たされちゃうからね、その欲求。
最近ちゃんと起きられてないから、そろそろ生活リズムを整えたいね。
いま就職予定先の企業さんからいただいている宿題は「生活リズムを整える」ということだけだからね。
***
また前を向けるようになりたいなあ。
人生を歩んでいくことに自信はないんだけど。
ただ、どうせいつか死ぬなら、その道中で出会った人のことを大事にできる人間になりたいなとは思う。
白昼悪夢
あらすじ:「深くショックを受けるほど、頑張らなくてよかった」という考えから抜け出したい。
さっきの記事↓からの続きです
jim-b.hatenablog.com
***
大人になってから、もう生きていたくない、と号泣する日が増えました。
私は反出生主義です。
そして、自己肯定感が低い。
というよりも、「自分のミスの多さと無能さを自覚しているから、自分の行動に自信をもつことの責任を恐れている」というのが正しいと思います。
これからも人生に期待することはないと思います。
でも、「深くショック受けるほど、努力しなくてよかったね」は違う。
「ショックを受けるほど、一途に人を愛さなくてよかった」という考えに至ってしまった先輩みたいにはなりたくない。
(もちろん先輩には救われて欲しいし、救ってくれるような誰かと出会って欲しいと思ってる。)
何が足りないんだろう。
自分には。
一つわかるのは、私はもう、目標に向かって努力することが怖くなってるんだね。
中学生の時、先生に「何事に対しても努力ができますね」って褒められたこと思い出しました。
先生、それは私がまだ世間と自分の実力を知らなかったからこそできたことでした。
何も知らない方が幸せってつらいですね。最近最終話まで読んだ進撃の巨人を思い出しました。
そもそもどんなに努力を重ねても、未来がどうなってるかはわからない。
それは、私だけでなく、誰にでも言えることだと思う。
コロナ禍の例を持ち出すまでもなく、コロナ流行以前の世界でもそうだったはずだよ。
「私が知っている世界はどこに行ってしまったんだろう」(「地獄が呼んでいる」に登場するセリフ)と思う瞬間が、誰しもあったはず。
未来の世界が大きく変わっていなくても、努力して掴んだ新しい環境が自分に合うところかはわからない。
「こんなはずじゃなかった」と打ちひしがれた表情で退職する新卒生を何人も見かけている。
でも「深くショックを受けるほど、努力しない」という考えは、結局自分を苦しめるんだと思う。
いいな、要領よく努力できる人は、とぼやきたくなるけど、自分はこの個体で人生を生きていくしかないんだから、もう仕方ない。
幸せの反対は比較である、って最近YouTubeで見かけた。
なんか、書けば書くほど自分が新卒生(大学生、大学院生)と比べて、勢いを失ってることがわかるな。
あー、いかんいかん、またじめじめ言うとるわ。
***
・自分は「正解はないけど評価はある」ものが苦手。
・自分は「結果までの過程が明確に決まっていない」ものが苦手。
・自分は「要領よく息抜きすること」が苦手。
・自分は「0か100かで考えがち」
このあたりの性格が、自分の「努力下手」に影響を与えてる気がする。
だから、「正しい努力の重ね方をしたい」と思っても、「正しい努力ってなに?」ってところで行き詰まってしまう。
うーん。
(次の記事に続きます)
泥のように眠る
さっきの記事で闇を吐き出して、「その後」の私として生き返りたい。
jim-b.hatenablog.com
⚠︎今の気持ちを書き散らかしている記事です。めちゃくちゃ読みづらいです。ごめんね。
***
先ほど不採用通知が送られてきました。
今年の新卒就職、今のところの私は、
0内定 2敗 1不戦敗(選考当日に熱出して参加できず)となっております。
(ただ、ありがたいことにとある企業様1社から、内定をいただけそうな段階...という状態です。)
そんな時に不採用通知。
お祈りの一文を読みながら、頭の中によぎったのは、
「でもまあ、ショック受けるほど頑張ってないじゃん」
「深くショック受けるほど、頑張らなくてよかったね」
という言葉でした。
......は?
今なんて言った私
そういうことじゃないだろ、
自分を守るって、そういうことじゃないだろ
自分は違う、と抜け出したくて、久しぶりにブログを書きました。
***
私はずっと、「努力の仕方」に悩んでいるなあと思います。
「悩みグセ」がついたのは高校生以来な気がしますが、経緯や様子を書き始めると長くなるので省略します。
大学院生の私が(大学院試勉強期間を含め)悩んだ末に学んだことは
「自分を幸せにできるのは自分しかいない。自分の幸せは自分で“確保”しなくちゃいけない。」
そして、
「今の自分を大切にしながら努力することが大切」ということ。
「今の自分を大切にしながら」という部分に注目できたのは、院試勉強中の自分が、自分を削りながら努力をしていたからです。
長い人生、時にはそのくらい自分を追い詰める必要がある時があるとは思うけど、大学4年生当時の自分が、心身をボロボロにしながら戦って得た結果が、「うつに片足突っ込んでる(大学院生1年生の8月に心療内科の先生に言われた言葉)」状態だった、という経験は私にとってそれはそれは大きかったわけです。
一言で言うと、私は要領が悪い。
だから、他の人が遊びも学びも良いバランスで要領よく進められている部分を見て、「ああ自分なんて何の役にも立たない」「無駄に存在してるでかいタンパク質だな」と思うときがある。
ちょっと話がずれましたが、もう私は、今の自分をボロボロにしてしまうほど犠牲にして頑張る、努力の仕方を実践することは放棄するようになりました。
「今を犠牲にしている分、私の方がきっと将来明るいはず...じゃなきゃやってられないっ!」
togetter.com
(これは成人向け同人誌の一コマらしい)
もうこんな頑張り方はできません。というか、しません。無理だと思う。
そこからです。
「自分を大事にする」方向がまたわからなくなってきてます。
***
大学生のとき、明るくておもしろい先輩がいました。
ただその先輩は、恋愛の道徳観が歪んでいました。
先輩曰く、
「男の浮気は本能だから仕方がない」
「自分の浮気を彼女に許してもらいたいから、自分も彼女の浮気を許す」
「浮気はするけど、彼女を泣かせたくないからバレないようにする」
何を言っとんじゃこいつ、と思いながら書き起こしています。
ひでえな。
ただこのひでえ先輩は、ご自身が大学1年生のとき、気の毒としか言いようがない出来事を恋愛の中で経験されていました。
そのことがきっかけで、考えが歪んだのだろうなあ、と私は考えています。
「本能」という“大きなもの”にすがっている
そうすれば自分は傷つかないし、自分は悪者にならない
「自分の心身を守るための考え方に沿って、行動を修正をした」結果、今の自分の周囲の人を傷つけることになっても、その考えを選んでしまったのかな、と今なら思います。
「ショックを受けて心身を病むほど、一人の人を深く愛さなくてよかった」という考えに。
そしてわたしの、「深くショックを受けるほど、努力しなくてよかったね」という発想は、この先輩の歪んだ考えと同じだ、と気づいたのでした。
わたしはこの考えから抜け出したい。
この考えは自分と周囲の人を傷つけてしまう、という確信だけはあるからです。
(次の記事に続きます)
えずく
⚠︎闇を吐き出しているだけの記事なので、しんどい時などにお読みになるのはお勧めしません
***
勉強が停滞しています。生活リズムが崩れがちです。
振り返ってみると、3月末に熱を出したあたりから、なんか糸が切れたように、力を入れて生活することができていません。
季節のものか、それとも年齢か。(PCRは陰性だったのでコロナではない)
4月2週目あたりからお腹を壊してました。
いまは元気です。
でもいつもうっすら希死念慮。
おとといは久々に酒に“呑まれて”しまいました。睡眠導入がわりにウイスキーのサイダー割りを飲んでいたはずなんですが、憂いが優ったのかもしれません。だんだんとウイスキーのほうが割合が多くなり、最終的にお手洗いに籠って何かしらの呪詛のようなものを叫んでいました(深夜に近所迷惑だったと思います。本当にごめんなさい。)私は酒に呑まれると、大概お手洗いにこもります。そして大概は号泣していることが多いです。
生きることに適性がない。私は淘汰される個体です。
頑張っても、その未来でうまくいきていけるかわからなくなった時から、私はずっと泳ぎ方を忘れてしまいました。
ただよう3月
久しぶりの更新です。
前回の記事を書いたのが1月なかばということで、ほぼ2ヶ月ぶりの更新です。
いやあ、間が空いた。
アルバイトの繁忙期だったんですよね。
百貨店のバイトをしているんですが、2月3月といえば、バレンタインデーやホワイトデーなどでめちゃくちゃ忙しくて。
1月下旬あたりから走り回ってました。百貨店間や店舗間をハシゴしながら動いていました。
とはいえ、わたしはまだ、指示をうけて動くだけなので、体力面をまかなえばなんとでも(後半へろへろだったけど)なったんですが、私の上司の方や先輩社員の方はもっと忙しくされていて、頭が上がりませんでした。指示を出す側ってもっと大変だな...。
あとは就活関係のことやらなんやらで忙しくて、1日があっという間に過ぎ去る日々でした。
きょうは久しぶりにPC教室にいきます。でも来月まで続けられんかも知れん。忙しすぎる。
ここ最近は、お酒を飲んだり、ペン字に取り組んだりすることが趣味です。
お酒はいいぞ。私はお酒飲めるタイプなので、夜な夜な晩酌です。
ペン字は、時間があるときにしかなかなか取り組めないけど、写経と同じ気持ちで臨めるというか。誰の評価を受ける必要もなく、コンクールなどに出すわけでもない、ただ自分のためだけに書くってめちゃくちゃ豊かな気持ち。最高。身近な誰かに見せるつもりはないです。誰かの目がある、って思ったら、その時点で私はすぐに焦ってしまうから。
あと、この前ひさしぶりに、大学院生のときに通っていた心療内科に行きました。
ADHD傾向のある人向けのお薬をもらいました。
「情報が整理つかなくなる」という傾向に効くらしいんですが、私のこれは、症状ではなく性格なので治りっこないということはなんとなく自分で気づいています。ごめんね、ピンクの錠剤ちゃんたち。消化してしまってそれで終わりになってしまう。
ただ、自分ってADHD傾向があるのかもしれない、と思うときは時々あります。
別に深刻に悩んでいるわけではなく、例えば、大学生の時、ADHDに関する勉強をしていたとき「ああ、自分もそうなのかなあ」とふんわり考えていたくらい。「ここからはADHD、ここからは性格」と明確に分けられるものではないし、誰しも「傾向」のひとつふたつはあってもおかしくないものなので、自分もそうなのかなあ、くらいに思っています。
私はむしろ、自分が相貌失認なんじゃないかと思っている悩みの方が大きいです。みんな顔ってどうやって覚えるもんなんだ...。助けてくれ...。
生きづらいなあ
生きづらいなあ、と思いながら生きてます。
錠剤と、万年筆と、お酒と、社会性。
もう無理だ、となる日まで適当に自分をなだめすかしながら人生をやり過ごしていきます。
洗濯機が止まったので、干しに行きます。
ではでは。