糸を掛ける

日常のことや就活のこと、推しの話など

年末年始商戦と人生

長かった年末年始が終わりました。

私は現在、百貨店を中心とした派遣スタッフのアルバイトをしています。年末はクリスマス商戦、大晦日、初売りと何かとイベントごとが多く、私もクリスマスからの2週間ちょっとの間ほぼ毎日はたらきづめでした。

松の内を過ぎた頃から、爆発的に拡大した新型コロナの影響で、お客様の数はぐんと減ったのですが、大晦日お正月のころはまだそれほど感染者数も多くなかったこともあり、一年の中でも特に賑わってたんじゃないかな、と思うほどたくさんの方にご来場いただいていました。コロナ前に比べたらまだまだ...というのは、確実にあると思うけど。

今回私が入っていた現場は、北海道の某企業さんの海鮮弁当を販売するブースでした。
北海道ブランドに加え、年末年始という時期。
せっかくのお正月、豪華で美味しいお弁当を食べたい、という気持ちですよね。
私がいたブースは、催事場のなかでも特に忙しかったと記憶しています。
午前中などはお弁当を求めてお客様が列を作るほど。

いやあ、あの時はいそがしかったなあ。
だけど、しんどくはなかった。

今回の現場の業者さんは、とても優しい方だったからです。

初めてお会いした時は、静かな職人肌っぽい感じの方なのかな?って思ったんですが、実際に色々と話してみると、いろんな点で私を気遣ってくださってるのが伝わってきて、すごくうれしかったしめちゃくちゃありがたかった。
自分は口下手なので、その感謝やうれしさをあまり伝えられなかったんじゃないかなと思うと、申し訳ないような気がします。最後にLINEで事務連絡を行った時にも、丁寧にお返事していただけてうれしかったなあ。

お仕事は、何をするかっていうことも大事だと思うんですけど、誰とするかっていうのも大事ですよね、本当に。
この一年間、就職活動をしながらフリーターをやってきて、改めて感じたことでした。

ある時は某百貨店の物産展、ある時は某駅構内の店舗など、いろいろな現場に入ったのですが、やっぱり、一緒に働く人がいい方だと、たとえどんなに遠方の仕事でも、どんなに多忙な仕事でも、全然苦じゃない。
反対に、仕事内容は楽しくても、人間関係がしんどいと、やっぱり苦しい。

いつだかツイッターで、「『業務内容』『人間関係』『賃金』の三つの柱のうち、どれかひとつが欠けても仕事は続けられるが、ふたつ欠けたら転職を考えたほうがいい」というような内容の呟きを見かけました。

ほんとそれだよなあ。
就職活動をしていても、やっぱりずっと怖いんですよ。
こんなに頑張っても、時間を欠けても、人間関係が合わなかったらどうしよう。業務がブラックだったらどうしよう。
どれほど予想を立てても、すべての不安を回避できるすべというのはほとんどないわけです。

最近は、森博嗣先生の『諦めの価値』という本を読んでいます。
本を読み、「夢叶わず、道半ば終わった(諦めた)としても、満足だと思えるような努力の仕方こそが、過去の自分(特に大学受験や大学院受験をしていた頃の自分)には必要だった」と考えています。

ただ、今これからの自分は、どういう風に努力を重ねたらいいんだろう、ということには、答えは出ません。たぶん、これからも。
過去の自分も、同じように悩んで、現役合格を逃したり、体調を崩したりしてきました。
その時の自分に、前述の言葉をかけてあげても「それはわかってるんだけど...わかってるとできるとは違うじゃん」って言い返される気がします。

道半ば終わっても満足、って、そういう心持ちで人生を歩めるって、すごいことじゃないですか。
それは、死んでも一向に構わんっていう感じで人生に挑戦するようにいきているひとか、二の手三の手を考えて人生のセーフティネットを自分で用意しながらいきていける人なんじゃないかな。
とはいえ、前者みたいなひとってほとんどいない気がする。前者みたいな人って何?『ゴールデンカムイ』の二瓶鉄造かな?(でも、だからこそ作中で二瓶さんの生き様と散り様はマジで好きです)

悩みの最中の不安は、言葉通り計り知れないものですしね。
バガボンド』の「海を泳いでいる最中には海の広さはわからんよ」っていう言葉には、「まじでそれな〜」ってチャラい返しをすることしかできないですね。
私はいつもその「広さがわからない」不安に飲み込まれて、なんでもない浅瀬ですら溺れてしまう人間だから。
その言葉に正面から向き合おうと思ったら、自分の人生の不安を丸ごと言い当てられた気持ちになって、「じゃあどうしたらいいんだろう(よかったらいいんだろう)」っていう考えに至ってしまう。至ってしまうと、弱い私はすぐに怖くなってしまう。
だから、「まじでそれな」くらいのテンションで、正対せず、斜め前を通り過ぎるくらいの不誠実なノリで対処してしまうのでした。

生きるって苦しいことからこそ、思いつきに近いものだったとしても、勇気をだして行ってみた優しさや気遣いで、誰かの心をあたためることができたなら、私はこれ以上嬉しいことはない。

ああ。うん。たしかにこれは、まさに「道半ば諦めたとしても後悔はない」、だなあ。


そうそう。
人生観の話とは全然関係ないんだけど、優しさや気遣いについて考えた場面をもうひとつ。
最近、出勤直後の社食の床に誰かがコーヒーをこぼしているのを見つけました。見て見ぬ振りもできるけど、なんか嫌だし、みんな忙しいだろうし、まあ私が拭いておこうか、くらいの軽いノリで雑巾を借り、ひとりでそのコーヒーを拭いていたんですが、その時に「誰もみていなくても神様がみてくれている」という言葉について考えていました。

ひとのみていないところで行う善は、「神様がみていてくれている」と子供の頃は教わったけど、大人になれば、そんな優しい神様なんてきっといないっていうことくらい自然とわかってくる。
じゃあ、この言葉を教え伝える意味ってなんなのだろうか。

私個人は、この言葉の意味と意図について、「善は、それを習慣づけて行うことで、自分にとって良いものがもたらされる(幸運として返ってくる)確率を高めることができるもの」っていうことかなあと思います。
ちょっと味気ない、なんなら罰当たり気味な表現な気もしますが。(ちなみに「確率」っていう言葉を使ったのは森博嗣先生の影響です。)

誰もみていないところでも行うという習慣づけをすることは、無意識の場面やとっさの行動が求められる場面に、(その人にとっては当たり前の行動になった)「善」を実行する確率を高めてくれる。それが、いざというときに自分や自分の大事な人を助けることにつながる(かもしれない)。昔の人たちは、そのことを「神様がみていてくれている」という言葉でまとめたのかな、「神様」を解釈装置の一種としておくことで、子供たちへの教育へと繋げたのかな。とか。

ただ、あくまで「確率が高くなる」というだけなので、「絶対いいことが起きる」というわけではない。

もっというなら、「誰も見ていなくても神様が見ていてくれる」っていう都合のいい言葉を使って自分の不満を押し殺す必要もないということです。自分の不利益を我慢して、いい子を貫いたところで、周りからは「都合のいい子」としか評価されないことも、普通にあるし。環境を打ち破ることは勇気が要ることだけど、このまま「(都合の)いい子」でいたら、ひとりぼっちで潰されちゃうからね。

なんだか話があっちゃこっちゃいきました。

上手に生きることは難しいことだけど、「自分と人に優しくある」ことを積み重ねることができたら、私はいつ死んでもいいかなと、とりあえず今は思っています。

そういえば、私が生まれてくる前、父は「優しい子になってほしい」という願いを込めて、「優」という字を名前に入れたいと思っていたそうです。(画数的に難しかったらしいので、今の名前になりました。)
自分が今この考え方に至ってるのは、たぶんあれです、伏線回収的な何か。

見切り発車

なんとなく、文章が書きたくなってブログを開設してみました。何の話をしようかな。
ここは半ば日記的なところにしようかと思っています。
でも、毎日続けられる自信はないので、気が向いた時に書きます。

今日はアルバイトの日です。
現在入っている現場は、業者さんがとても優しい方なので毎日出勤するのが楽しいです。
もっと売り上げに貢献したいなあ。ただ、ここ最近で爆発的に感染者数が増えた上、まん防も出たので、今日からの三連休はなかなか渋い戦いになりそうです。自分も感染対策しないと。ぼちぼち頑張ります。

最近はずっと推し活と読書で時間を潰しています。
そうそう。宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』、あれめっちゃよかった。
突然語り始めちゃうけど、ごめんね。これいつか誰かに話したくて。とりあえずメモとしてつかうね。
(ここからメモ)
オタクの心理みたいなのを書いているのかな、と思って読み始めたんですが、実際はちょっと違かった。
もちろん、主人公が「推し」にかける思いを描いているという点では、予想はあっているんですが、もっとこう、人間の根っこにあるもっと深い部分を描いてる気がしたというか。閉鎖的でままならない心身や環境に対する葛藤をぶつけ、生きる指針を何かの中に見出している時の、重たいあの感じというのは、「推し」がいた経験がある人じゃなくても、ひょっとしたらこういう気持ちを抱いたことがあるんじゃないかと思う物語でした。
全然見当違いの解釈だったらごめんなさい。
(メモおしまい)

『推し、燃ゆ』じゃないけど、このブログを推し関係の話で埋め尽くそうかと思ったりもした。
けど、もっともっといろんな話をゆるっととりとめもなく話すだけのことがやりたくて、なんとなく書き始めるところからやってみました。

とりあえず、明日は9時半には出勤しとかないといけないので寝ます。